中央大学出身者の著書を集めています
●白門58会(準備会)では、本年度のホームカミングデーで中央大学出身者の著書の販売を企画しています。収益金は母校の125周年に寄付いたします。
●本サイトに掲載する中央大学出身者の著書の情報をお寄せください(著書は新刊・古本として一般で購入可能であること)。ご連絡はこちらへ。
●白門58会(準備会)では、本年度のホームカミングデーで販売する中央大学出身者の著書を集めています。収益金は母校の125周年に寄付いたしますので、当会への無償での寄贈となります。送付方法等はこちらへご連絡ください。

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政治
  自民
  民主
  諸派・無所属
地方自治体
警察官僚
裁判官
弁護士
検察官
経済界・金融
研究者
  法・政・社・経済学
  文・語・歴史学
アナウンサー
将棋
漫画・映像・アニメーション
写真家
落語家
小説家
ノンフィクション作家
脚本家
俳人
評論家
俳優
スポーツ




制作・運営/白門58会(仮称)結成準備会 ※中央大学関係者写真は大学ホームページから借用しています



政治(自民)

政論!―山本一太vs次世代を担う政治家たち 
【著者】山本一太(やまもと・いちた)

2003年から2007年まで放送された政治家の一騎打ち討論番組「闘論! 永田町」での、安倍晋三、片山さつき、河野太郎らの政治家たちと山本一太の対談を収録。

参議院議員、自由民主党。1958年(昭和33年)群馬県生まれ。1982年(昭和57年)中央大学法学部卒。米国ジョージタウン大学大学院(国際政治学修士課程)修了。1995年(平成7年)参議院自民党幹事長だった父、山本富雄元農水大臣の急逝を受けて第17回参議院議員通常選挙に立候補し当選。シンガーソング・ライターとして、これまでに6枚のCDを発表。TVをはじめとするメディアへの露出も多く、ブログも展開している。

http://www.ichita.com




志ある国家 日本の構想  
【著者】海部俊樹(かいふ・としき)

志を持って生きるものが、きちんと報われる。それが公正な社会のあり方。何もしない政治との決別、次世代のあるべき日本の姿を提示する。本格的な政策論争時代の鏑矢を放つ一書。

衆議院議員、自由民主党。1931年(昭和6年)愛知県名古屋市生まれ。1951年(昭和26年)中央大学専門部法科卒。早稲田大学第二法学部卒業。1960年(昭和35年)全国最年少で衆議院議員に初当選。以降、1976年(昭和51年)文部(現・文部科学)大臣、1989年(平成元年)内閣総理大臣(初の昭和生まれの総理大臣)などを歴任。「わかりやすく、クリーンな政治」が信条だったが、政治改革関連法案が審議未了で廃案となり、解散にまつわる混乱の責任を取る形で内閣を総辞職。その後は、自由改革連合代表、新進党初代党首などを経て、2003年(平成15年)、自由民主党に復帰。水玉模様のネクタイがトレードマーク。

http://www.anan.ne.jp/kaifu/




政治主導の時代―統治構造改革に取り組んだ三〇年  
【著者】保岡興治(やすおか・おきはる)

構造改革における政治家の役割とは何か。衆議院議員として30年間、統治構造改革に取り組んできた著者が、政治家としての歩みを振り返り、国民本位、生活者主体の政治による新しい国家とは何かを提言。

衆議院議員、自由民主党。1939年(昭和14年)東京都生まれ。1964年(昭和39年)中央大学法学部卒。最高裁判所第19期司法修習生、1967年(昭和42年)判事補に任官。1972年(昭和47年)旧鹿児島1区から出馬し、当選。1978年(昭和53年)国土政務次官に就任。以降、衆議院建設常任委員長、金融安定化に関する特別委員会・筆頭理事などを歴任。2000年(平成12年)、第2次森内閣にて法務大臣に就任。加藤紘一とは日比谷高校の同期生で、いわゆる「加藤の乱」にも参加していた。

http://www.yasuoka.org




政治(民主)

よみがえったいのち―親子で考える日本の臓器移植のすがた   
【著者】武山百合子(たけやま・ゆりこ)

臓器移植が整備されている欧米諸国にくらべ、立ち後れている日本の現状。助かるいのちも助からないケースは数知れない。3人の子どもたちへのインタビューをもとに、日本の臓器移植の方向性を考える一冊。

前・衆議院議員、民主党。1947年(昭和22年)埼玉県生まれ。1970年(昭和45年)中央大学文学部卒業、中央大学経理研究所に就職。1993年(平成5)に旧埼玉4区から日本新党候補として総選挙に出馬し、初当選。以降、新進党・自由党・民主党に参加。衆議院環境委員会委員として環境ホルモン・ダイオキシン問題や遺伝子組み換え食品問題に取り組む。1999年(平成11年)には、「環境ホルモン・ダイオキシン問題に取り組む議員連盟」設立に参画。民主党「次の内閣」沖縄北方問題委員会担当副大臣に任命。弓道2段。

http://www.yuriko-online.com/




福祉先進社会の住宅政策―1945年~2000年   
【著者】横山北斗(よこやま・ほくと)

現代の福祉社会の実情や、その成立についてはイギリスに範を求めることが多い。福祉研究の原点に立ち返り、戦後イギリスの住宅政策を分析しながら、福祉社会とは何か、それを実現するための政策はどのようなものかを論ずる材料として最適の一冊。

衆議院議員、民主党。1963年(昭和38年)東京都生まれ。1986年(昭和61年)に中央大学法学部政治学科を卒業後。1997年(平成9年)、弘前大学教育学部助教授、2003年(平成15年)、弘前学院大学社会福祉学部教授などを歴任。2004年から、現民主党代表の小沢一郎の政策秘書を務める。2005年(平成17年)9月の衆議院議員総選挙で比例東北ブロックから初当選。政策調査会主査を担当。趣味はスポーツ全般で、横浜ベイスターズの熱烈なファン。音楽では70〜80年代のニューミュージックをよく聞き、特に渡辺真知子のファン。

http://webhokuto.com/




政治(諸派・無所属)

反資産デフレの政治経済学―戦略型資本主義を構築するために   
【著者】渡辺喜美(わたなべ・よしみ)

「日本の凋落は資産デフレからはじまった」との明確な説明からはじまり、その根本治療のためには何が必要なのかを論じる。必要なのは、破壊シナリオや延命シナリオでなく、第三の道「一度死んで蘇るスキーム」との大胆な提案を掲げる。

参議院議員、無所属(前・自由民主党)。1952年(昭和27年)栃木県那須郡生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後に、中央大学法学部に学資入学。父親は故渡辺美智雄で、1983年に美智雄の秘書となる。美智雄が通産大臣、外務大臣に就任した際は、それぞれ大臣政務秘書官を務める。1995年(平成7年)美智雄氏の死去により地盤を引き継ぎ、翌年の衆議院選挙で初当選。金融、景気、住宅ローン対策など私案を次々と発表。企画立案実現型政治家を目指す。2009年(平成21年)「渡り斡旋を全面禁止するか」、「渡りを一部容認する『職員の退職管理に関する政令』を撤回・修正するか」との公開質問状を提出するため首相官邸を訪ねたが拒否される。これを受け離党。決断力、度胸、歯切れの良さは父親譲りで、風貌も似ている事から、美智雄氏のあだ名である「ミッチー」と呼ばれる事も。

http://www.nasu-net.or.jp/~yoshimi/




地方自治体

札幌ちょっといい話 私が札幌を好きになった理由   
【著者】上田文雄(うえだ・ふみお)

著者がこれまでに知っていた札幌、好きだった札幌から、札幌市長になってみて初めて知り得た札幌、好きになった札幌について語る。この街で暮らす人々との出会いの中で、心動かされた話など、身近な街づくりのこぼれ話なども交えながら紹介する一冊。

札幌市長。1948年(昭和23年)北海道十勝管内幕別町生まれ。1972年(昭和47年)中央大学法学部卒。1978年(昭和53年)道央法律事務所に所属して弁護士業務開始。2001年(平成13年)日本弁護士連合会人権擁護委員会副委員長に就任。2003年(平成15年)札幌市長選再選挙で当選。市長として積極的な情報公開に取り組む。全国市民オンブズマン連絡会議による政令指定都市を対象にした、情報公開度ランキングにおいて、2004年度は前年度の9位から大幅に順位を上げ全国1位を実現。2005年度、一旦2位に退くも、2006年度は再び1位に返り咲くなど高評価を受けている。

http://www.uedafumio.jp/keireki.html




私の文章修行―生涯学習ノート   
【著者】神田真秋(かんだ・まさあき)

人は書くことによって、社会・人生などさまざまな事を学び、文字にすることで自らの力の足りない事を自覚する。そのことが、またペンをとる動機となるのである。「人生とは学び続けること」、生涯学習の大切さを説いた一冊。

愛知県知事。1951年(昭和26年)愛知県一宮市生まれ。1973年(昭和48年)中央大学法学部卒。大学在学中に司法試験に合格し、卒業後は愛知県弁護士会に所属。1988年(昭和63年)一宮市長に当選し、弁護士登録を抹消。1999年(平成11年)愛知県知事に当選。知事就任時には「情報暗黒県」と言われていたため、これを是正し「県民と情報を共有したい」と所信表明。一期目には、公文書公開条例の改正などの改革を手がけ、それまでオンブズマンによる都道府県情報公開ランキング最下位であったものをランキング5位にまで押し上げた。




警察官僚

警視庁捜査一課長 特捜本部事件簿   
【著者】田宮榮一(たみや・えいいち)

「協和信用金庫中葛西支店猟銃強盗事件」「ホテル・ニュージャパン火災」など、昭和を震撼させた事件・事故の数々を振り返る実録的犯罪捜査ファイル。当時、捜査一課長として、実際の現場を指揮した著者が、そのときの現場の有様を描き出す。

元警視監。1932年(昭和7年)山形県生まれ。中央大学法学部卒業。1952年(昭和27年)警視庁に入庁し、1989年(平成元年)9月の退官まで捜査一課長、新宿署署長、警察学校校長などを歴任し、数々の難事件において陣頭指揮を執る。最後はノンキャリアとして事実上の最高位・警視監に昇進。退官後はヤマト運輸にて顧客サービス部付となり、常務取締役、専務取締役兼経営企画本部長などを歴任。現在は警察研修社取締役会長、財団法人犯罪被害者救援基金理事、警察政策学会管理運営部会会員などを務める。ニュースなどコメンテーターとしても活躍。




裁判官

労働事件審理ノート   
【著者】三代川三千代(みよかわ・みちよ)

労働事件に携わる人たちに向けた解説書で、要件事実などの基本的用語や、概念を「序章」としてわかりやすく解説。さらに、全章にわたって主要判例の追加、引用文献を見直し、新施行後の労働審判事件も追加。判例タイムズ1144号(平成16年5月1日号)から1148号(同年7月1日号)まで5回にわたって連載した「労働事件審理ノート」に、保全事件を加えたもの。山口幸雄/難波孝一との共同編著。

東京地方裁判所判事。1949年(昭和24年)千葉県生まれ。中央大学法学部卒。1976年(昭和51年)司法試験合格、1978年(昭和53年)大阪地方裁判所判事補就任。以降、1982年(昭和57年)名古屋地方裁判所一宮支部、1989年(平成元年)東京地方裁判所判事などを歴任し、1994年(平成6年)司法研修所教官、1998年(平成10年)大阪地方裁判所判事部総括、2001年(平成13年)東京地裁判事部総括などを担当。1999年(平成11年)6月9日、堺市の女児殺傷事件における少年被告人が『新潮45』に実名や顔写真を掲載された民事裁判では、原告の主張を認めて新潮社側に250万円の支払いを命じた。




弁護士

遺言状を書いてみる (ちくま新書)   
【著者】木村晋介(きむら・しんすけ)

「死んだ後の事など、私は興味ない」と言った当人が死んで、残された家族は少々の遺産を巡って大げんか。そんな様子を横目で見ていたら、ふと自分の死後は大丈夫か? そんな不安がよぎる。では、実際に遺言状を書いてみよう。そんな時に開くのが本書。「正義の味方」こと著者・キムラ弁護士が、遺言状の書き方のイロハから、「葬儀をせずに散骨したい」「ネコに年金をあげたい」という願いまで、わかりやすく解説。

弁護士。1945年(昭和20年)長崎県生まれ。1967年(昭和42年)中央大学法学部卒業。大学卒業、司法試験合格。1970年(昭和45年)弁護士開業。消費者問題、環境問題、プライバシー問題などを扱う事が多い。オウム真理教による一連の事件では、坂本弁護士一家救出運動に尽力した。大学在学中は作家の椎名誠やイラストレーターの沢野ひとしとは親友であり、大学時代はアパートで共同生活を送っていた事は有名。TV、ラジオをはじめとするメディアへの露出も多く、歯に衣着せぬ語り口で人気。

http://kimura-law.jp/




まだまだ、もっと―妻も弁護士も代議士も   
【著者】鈴木喜久子(すずき・きくこ)

20歳で結婚し1児の母に。子育てが一段落した29歳にして大学入試に挑戦し、見事合格。これを弾みに、生来のトライ精神で司法試験に挑み続け苦節8年目で合格。さらに「世のため、女性のため」と、マドンナ旋風にのって議員へ。しがらみも後ろめたさもさまざまな思いも受け止めて、それでもなお歩み続ける、著者の生きざまを綴った自伝。

弁護士、元・衆議院議員。1935年(昭和10年)東京都生れ。幼少時に父を亡くし、母子家庭に育つ。主婦業の傍ら受験勉強を続け1965年(昭和40年)中央大学法学部入学。1969年(昭和44年)中央大学法学部卒業。1980年(昭和55年)女性合格者中最高齢で司法試験に合格。1990年(昭和65年)衆議院議員総選挙に旧東京1区から日本社会党(現・社民党)公認で立候補し初当選。当時の日本社会党のマドンナ議員の1人。1996年(平成8年)衆議院議員総選挙にて落選。比例代表東京ブロックにも名簿順位第7位で重複立候補していたが落選し、政界引退。その後は、弁護士活動に復帰。女性の権利、消費者問題などに重点を置く。




アパート・マンションオーナーのための法律Q&A別冊ポケット倶楽部   
【著者】武内 大徳 (たけうち・ひろのり)

入居者とのトラブルにおいて、オーナーにとって大切なことは、争いごとが生じないように事前に対処しておくこと、生じても早い時期に最小限の労力で解決できるよう事前に準備しておくこと。 本書では、オーナーが争いごとでなるべく不利にならないためには、事前にどのような対処をすべきか、どのような考え方でトラブルに臨むべきかの視点で編集。

弁護士。中央大学法学部卒。横浜弁護士会所属。民事、刑事全般と企業顧問として弁護士活動。横浜弁護士会の民事介入暴力対策委員会、犯罪被害者支援委員会のメンバーとしても活躍。1968年生まれ、神奈川県出身。


http://www.ene-web.com/cfc/contents/pro/h-takeuchi01.htm



検察官

証拠は語る―光る真実・消える虚構   
【著者】土本武司(つちもと・たけし)

刑事事件において「証拠」とは何かを立脚点に「捜査」とは、事件を受け止める「社会」とは何か、その中に描かれる「人間」とは何かを語る。オウム真理教事件や和歌山カレー事件など、数々の平成の大事件について、法律家であり、検事でもある著者が冷徹に緻密に分析した一冊。

元検察官・刑事法学者。1935年(昭和10年)東京都生まれ。1956年(昭和31年)中央大学在学中に司法試験合格。翌年、中央大学法学部を卒業。1960年(昭和53年)検事任官。以降、東京地方検察庁検事、東京高等検察庁検事、最高検察庁検事などを歴任。1988年(昭和63年)筑波大教授に着任し、後に帝京大法学部教授。死刑制度の維持や厳罰化、取り調べの可視化などについても積極的に発言している。1991年(平成3年)に発生した『悪魔の詩』の訳者殺人事件では第一発見者となる。




おかしいぞ!警察・検察・裁判所―市民社会の自由が危ない   
【著者】三井環(みつい・たまき)

「ビラの配布でマンションに立ち入ったら逮捕」、こんなことで逮捕・起訴される現実。公安警察・検察の恐るべき実態。警察vsメディアの攻防。大阪高検公安部長だった著者が暴く、公安暴走の実態。ジャーナリスト大谷昭宏、魚住昭、斉藤貴男との共著。

検察官。1944年(昭和19年)、愛媛県生まれ。中央大学法学部卒業。1970年(昭和45年)に司法試験合格し、1972年(昭和47年)検事任官。京都、神戸、大阪などの各地検検事を歴任し、1988年(昭和63年)高知地方検察庁次席検事、高松地方検察庁次席検事に就任。1999年(平成11年)大阪高等検察庁公安部長就任。2002年(平成14年)4月、報道番組の出演・収録が予定されていた当日に、マンション落札についての詐欺容疑で逮捕される。現職検察幹部が初めて検察の裏金問題について、実名で証言することを妨害するための口封じではないかと話題になった。




経済界・金融

行政マン リーダーの条件―実践的リーダーシップ論   
【著者】伊藤章雄(いとう・ゆきお)

リーダーはいつの時代も悲惨かつ悲壮である。それでもなお、リーダーでありたいと願う人は多い。そういった人たちに向け、著者の実践を通した「リーダーシップ探求」を述べ、新時代のリーダーに求められるものとは何かについて語る。

実業家。1941年(昭和16年)生まれ。中央大学経済学部国際経済学科卒業。中央大学大学院兼任講師、三井住友海上火災保険顧問。前職は東京都総務局理事。研究分野は地方自治、公務員制度、人事行政、行政経営、危機管理、行政組織論など。




私のビジネス春秋   
【著者】大森清司(おおもり・きよし)

平穏な管理部門から一転し、2002年6月からの4年間、苦戦する国内販売の総指揮官として奔走し牽引してきた、元キッコーマン(株)代表取締役専務、大森清司氏の多彩なビジネス文書録。指揮官たる国内営業統括部長として、またそれ以前に総務部長、営業企画部長として名門企業の内外に発信した数々のメッセージをはじめ、経済人の視座から唱えたマーケティング・コンプライアンス試論、さらに地元の下総・野田のこと、母校・中大、その同窓でつくるアメリカ研究会のこと…までを収録。ビジネス、地元、母校での精力的な活動と思考の軌跡から、しなやかで根太い、ライフ・ワーク両面の生きざまがたどれる。

昭和12年(1937年)千葉県野田市生まれ。中央大学法学部卒。 キッコーマン褐レ問(元・代表取締役専務)、学校法人中央大学評議員。昭和35年に野田醤油(現在のキッコーマン)に入社。デルモンテ、マンズワインなど合弁会社や製造子会社への出向などの後、経営企画やマーケティング部門、管理部門を経て、国内営業統括責任者であるNSM(ナショナル・セールス・マネージャ)に就任。また、社外では社団法人日本マーケティング協会マスターコースマイスターなども務める。




朝令暮改の発想―仕事の壁を突破する95の直言   
【著者】鈴木敏文(すずき・としふみ)

セブン−イレブン・ジャパンの創業者が語る「目から鱗」の仕事術。例えば、「朝令暮改となることを恐れるな」、「顧客のためにと考えるな」、「会社はいつ辞めてもいいと思え」など、従来の常識をことごとく覆す一冊。逆境・逆風を逆にチャンスとしてとらえる。カリスマ経営者が教える仕事の奥義。

企業経営者。1932年(昭和7年)長野県生まれ。中央大学法学部入学。経済学へ専攻を変更し、経済学部へ転部。1956年(昭和31年)中央大学経済学部卒業後、東京出版販売(現トーハン)入社。それまで無料で配布していた「新刊ニュース」を読み物を加えて有料誌化し、発行部数を5,000部から13万部に増やすなどの業績を上げる。1963年(昭和38年)、イトーヨーカ堂に入社。当時、米国で広まりつつあったコンビニエンスストア事業を知り、1973年(昭和48年)新聞広告などで集めた15名で株式会社ヨークセブン(現:セブン−イレブン・ジャパン)を設立。商品ごとの売れ筋をタイムリーに把握し、発注精度を高める「単品管理」は、トヨタ自動車の「カンバン方式」と同様に世界で英語になった日本語。現在は古巣の株式会社トーハンの副会長や、中央大学の理事長をも務める。




エネルギーはベストミックスで オール電化の「不都合な真実」   
【著者】中川 順一(なかがわ・じゅんいち)

共著。オール電化が増えれば石炭火力発電が増える…… マスコミがなかなか取り上げない、電力会社らが進めるオール電化の問題点についてまとめたもの。 電化自体が問題なのではなく、電力会社らが進めようとしている「系統電源によるオール電化」には問題が多く、しかも、世間に真実が伝わっていないことを伝えた本。

企業経営者。広告出版プランナー。1960年生まれ。1983年(昭和58年)中央大学文学部卒。 株式会社ノラ・コミュニケーションズ 代表取締役 大学卒業後、廣済堂産報出版に入社、業界誌「プロパン新聞」「月刊LPガス」編集記者として9年間在籍。在職中、業界誌編集のほか、元売会社プロモーション、卸会社系列向け機関誌の発行、大手小売販売店の消費者向けPR誌発行などを担当。また、航空貨物業界誌の編集にも関わる。 1992年に編集部長で退職し、在職中のクライアントの業務を中心に独立し、現在に至る。


http://www.ene-web.com/cfc/contents/pro/j-nakagawa01.htm



本は10冊同時に読め!―本を読まない人はサルである!生き方に差がつく「超並列」読書術   
【著者】成毛眞(なるけ・まこと)

「本は最後まで読まなくていい」、「仕事とは直接関係のない本を読め」、「読書メモは不要」など、これまでの読書術の常識を覆す提言の書。あらゆるジャンルの本からの情報を組み合わせることで、新しいアイデアが生まれる。「すき間時間」で本を読むことで、集中力が増す。本を10冊同時に読めば、10倍人生が面白くなる。など、読書で人生を豊かにするための方法を満載。

実業家。1955年(昭和30年)北海道札幌市生まれ。1979年(昭和54年)中央大学商学部卒業。自動車部品メーカー、アスキーなどを経て1986年(昭和61年)マイクロソフト株式会社(日本法人、以下MSKK)入社。1991年(平成3年)MSKK代表取締役社長。2000年(平成12年)MSKKを退社。その後、投資コンサルティング会社「インスパイア」を設立。現在は、スルガ銀行株式会社、株式会社スクウェア・エニックスの社外取締役や、様々なベンチャー企業の取締役・顧問などを兼職。早稲田大学客員教授も務める。




保安確保へ向けたコミットメント 守・破・離の経営 [NORACOMI BOOKLETS] (NORACOMI BOOKLETS No. 12)   
【著者】牧野修三(まきの・しゅうぞう)

牧野修三の《しくみづくり》シリーズの第3弾。2006年7月のパロマ製湯沸し器事故、2007年2月のリンナイ製をはじめとした湯沸し器事故の公表などを受け、経済産業省原子力安全・保安院は、平成19年度の保安対策指針の中で、経営者の社内外に対する「保安確保へ向けたコミットメント」を求めた。コミットメント(約束)するためには、それを守ることができる根拠が必要。つまり、「保安確保へ向けたしくみ」をどのように整えているか、整えていくかを具体的に示す必要がある。古くからガス業界では「保安と販売は経営の両輪」と言われてきた。両輪であるならば、両輪をつなぐ軸はひとつであるはず。保安確保の重要度についてことさら語られるようになった現在、保安に対する新しい定義づけを行い、「両輪をつなぐ軸」について牧野の一連の発言やメモ、レポートをもとに編集。

企業経営者。中央大学商学部卒。神奈川・東京圏でLPガスを供給する大手小売販売会社(株)カナジュウ・コーポレーション代表取締役社長。ガス器具のネットショッピングやコミュニケーション履歴管理ソフト「接点力」の開発・販売など、エネルギーサービスでのIT活用に定評がある。経済産業省「IT経営百選」で最優秀賞受賞。昭和22年、神奈川県横須賀市生まれ。


http://www.ene-web.com/cfc/contents/pro/s-makino01.htm



御手洗冨士夫「強いニッポン」 (朝日新書)   
【著者】御手洗冨士夫(みたらい・ふじお)

金融・産業など、あらゆる分野でグローバリゼーションが進む現代。その荒波は格差社会を拡大し、国民から幸福感が薄らいでいる。だが、キヤノンを大飛躍させ、2006年5月に経団連会長に就任した筆者は、まだまだ「ニッポンは強い」と主張する。日本の潜在力を引き出すには? 不安を抱えながら働く日本人に、経団連トップが「日本株式会社」復活のアイテムを披露する。

企業経営者。1935年(昭和10年)大分県生まれ。1961年(昭和36年)中央大学法学部法律学科卒業。在学中より司法試験を目指すが失敗し、叔父御手洗毅が創業者の一人であったキヤノンに入社。キヤノンUSA社長などを経て、1995年(平成7年)社長を務めた従兄弟の肇の急逝を受けて第6代社長に就任。終身雇用は守るとするかわりに、成果主義の導入、夏休みの短縮、独身寮・社宅補助の完全廃止、基本給以外の諸手当(残業以外の扶養手当、住居手当など)全面廃止などを行った。2006年(平成18年)日本経済団体連合会会長に就任。




社長の哲学   
【著者】矢野博丈(やの・ひろたけ)

100円SHOPダイソーで成功を収めた著者・矢野博丈をはじめ、タクシー事業を中心に展開するエムケイ(MK)グループの現オーナーである青木定雄、ドトールコーヒー現社長の鳥羽博道。この四人の共通点は創業社長であること、そして幾多の大きな試練を乗り越えてきたことである。それぞれのメソッドで、社員に語りかけ、共感を得る事で逆風の時代に成長を遂げてきた企業のトップが、自ら語った「経営哲学」。

企業経営者。1943年(昭和18年)広島県生まれ。1967年(昭和42年)中央大学工学部第二部(夜間)土木学科卒業。旧姓は栗原で、学生結婚を機に現姓名に改姓・改名。妻の実家のハマチ養殖業を継いだが3年で倒産。その後、転職を重ねた後1972年(昭和47年)、雑貨をトラックで移動販売する「矢野商店」を創業。忙しくてラベラーが間に合わず、100円均一にしたことが、後の「100円ショップ」へとつながる。バブル後の長期不況も追い風となり、1990年代後半から急速に売上げを伸ばし、2007年(平成19年)には国内2400店舗、海外400店舗、売上高3300億円と100円ショップのトップ企業となった。




誰も教えてくれない仕事術―クルマの運転から学べる   
【著者】吉谷始展(よしたに・もとのぶ)

運転能力はビジネス能力と合致する。運転技術向上=仕事上達の必勝法則。仕事力診断テスト付。仕事力をクルマの運転力と対比させ、仕事術をわかりやすく説明、不足している意識や能力に気づいて、感性のアップを図れるような運転能力向上テクニックを紹介した。

職業運転士教育コンサルタント。昭和29年、東京都生まれ。中央大学経済学部卒業。在学中2年間、国立劇場歌舞伎俳優養成所の研修生となる(第5期)。平成2年、有限会社アペックスを設立(現株式会社アペックス)。代表取締役社長となり、自家用自動車管理業、ビル清掃管理事業を開始。平成11年、株式会社エーアンドディコンサルティングを設立。代表取締役社長を兼務し、プロ運転士向け教育事業、車両運用コンサルティング事業を開始。平成17年、民間救急事業部を株式会社アペックス内に併設。平成19年より、社団法人日本自家用自動車管理業協会研修委員長として、業界の資質の向上に取り組むとともに、東京中央ロータリークラブ会員として社会奉仕活動にも力を注いでいる。




研究者(法・政・社・経済学)

新・情報社会の現在   
【著者】飯田良明(いいだ・よしあき)

今日「情報問題」というカテゴリーは、社会のあり方を考えるにしても、個人や組織・集団のあり方を考えるにしても、多様な社会的事象を考えようとするときも、分析には必須のキーワードである。そうした観点から、現代の情報社会が抱える諸問題や、情報化の実状について、企業組織における情報化の実態、携帯電話利用の諸問題などを取り上げながら考察する。飯田良明・前納弘武との共著。

社会学者。1946年(昭和21年)千葉県生まれ。1969年(昭和44年)中央大学文学部卒業。1976年(昭和51年)東海大学専任講師、1988年(昭和63年)千葉経済大学教授などを歴任し、2004年(平成16年)実践女子大学教授に就任。主な研究テーマは情報化社会、政治的社会化、政治意識、市民の投票行動などで、特に、高度情報化社会における政治意識の変容が最近の主題。




金正日体制の北朝鮮―政治・外交・経済・思想 (日韓共同研究叢書)   
【著者】伊豆見元(いずみ・はじめ)

金成日体制からの継承という形でスタートした金正日体制。当初脆弱とみられていた政権を、実際に支える本質は何であるかをテーマに語る。日々の変化を間近に感じ、南北関係政策の立案にも関わる韓国研究者と共同で独自の視点で論じる。独特な強靱性を発揮する転換後の体制の本質について、著者ならではの鋭い分析眼により、今後を占う。

国際政治学者。1950年(昭和25年)東京都生まれ。1974年(昭和49年)中央大学法学部卒業の後、1977年(昭和52年)上智大学大学院国際関係論専攻博士課程前期(修士)修了、1982年(昭和57年)韓国延世大学校政治学大学院研究課程修了などの後、1986年(昭和61年)財団法人平和・安全保障研究所主任研究員、1986年(昭和61年)財団法人平和・安全保障研究所主任研究員などを歴任。1995年(平成7年)静岡県立大学国際関係学部教授。専門は、北東アジアの国際関係と安全保障政策。TVのコメンテーターとしても有名で、北朝鮮の動向がニュースになるときは、解説を求められることが多い。




埋木舎―井伊直弼の青春   
【著者】大久保治男(おおくぼ・はるお)

「桜田門外の変」で有名な江戸時代の大老、井伊直弼の青春時代を語る。「埋木舎」での各修行を探ると共に、今日現存する埋木舎の建物など(国の特別史蹟)を紹介。

法学者。1934年(昭和9年)東京都生まれ。中央大学法学部卒業後、中央大学大学院法学研究科修了、1962年東京大学教育学部研究生を経て、東京大学法学部研究員。研究分野は日本法制史、日本文化論、法学で、井伊直弼および彦根藩の研究者として有名。近世日本法制史、特に彦根藩政史の研究に尽力。最近は古文書の保存・研究・解読について、東大近代法政史料センター、彦根城博物館史料部、市史編纂室とこれらの史料の整理・保存・分析・分類と解読などを共同で行っている。




官のシステム (行政学叢書)   
【著者】大森彌(おおもり・わたる)

実際の政策過程において「政(まつりごと)的側面」を内包するのが行政活動。この活動が、どのような組織と人事の仕組みの中で行われているかを明らかにするとともに、批判の対象となる組織の硬直性の要因をさぐり、改革への新たな展望を示す一冊。

行政学者。1940年(昭和15年)生まれ。1962年(昭和37年)中央大学法学部を卒業し、1968年(昭和43年)東京大学大学院法学政治学研究科博士課程卒業。1984年(昭和59年)東京大学教養学部教授に就任。内閣府・独立行政法人評価委員会委員長、厚労省社会保障審議会委員、同審議会介護給付費分科会「介護施設等のあり方に関する委員会」委員長、地方分権推進委員会専門委員(くらしづくり部会長)、自治体学会代表運営委員任など、行政との関わりが深く、実践的な研究を行っている。




イスラームの人権―法における神と人   
【著者】奥田敦(おくだ・あつし)

イスラーム社会における神と人との関わり、生活に根ざした信仰の様子をわかりやすく解説し、西欧の人権思想や法思想との比較分析から、イスラームの人権論を理解しやすくまとめる。イスラーム思想から見た法的平等、経済的平等、政治的平等、自由といった問題を概説する中で、その理想と現実についても直視する。「人間であるというただそれだけの理由で尊重され付与される」というイスラーム人権思想の真髄を伝える貴重な試み。

法学者。1960年(昭和35年年)神奈川県生まれ。1984年(昭和59年)中央大学法学部卒業後、1993年(平成5年)からシリア国立アレッポ大学アラブ伝統科学研究所客員研究員を務め、2005年より慶應義塾大学総合政策学部教授、シリア国立アレッポ大学学術交流活動日本センター副所長に就任。専門はイスラーム法およびその関連諸領域。イスラームの教えを軸にした人間・社会・ 法・文化にかかわる総合的研究のほか、シリアアレッポ、レバノンベイルートに位置する日本センターを拠点に、実践的な相互理解を目指す地域研究・文化交流を積極的に展開している。




新しい社会政策   
【著者】兼清弘之(かねきよ・ひろゆき)

従来の経済学において、社会政策の研究は労働問題として発展してきたが、その現代的課題は多様化している。本書では、これを福祉政策との関連で捉え、総合的な社会政策を概説。1992年刊の「労働経済と社会政策」を大幅に修正、新しい論考を加える。

経済学者。1935年(昭和10年)山口県生まれ。1960年(昭和35年)中央大学経済学部卒業、1963年(昭和38年)中央大学大学院経済学研究科経済学専攻修士課程卒業、1969年(昭和44年)早稲田大学文学部社会学専修卒業。1986年(昭和61年)明治大学政治経済学部教授に就任。研究テーマは社会政策で、人口問題、少子化対策などの提言が多い。




手形法小切手法 (企業法学)   
【著者】木内宜彦(きうち・よしひこ)

企業の経営という実社会の動きに対し、手形法・小切手法がどう関わるか。その方法(問題意識)の中で、運用の意味を把握し、その体系化を試みる。多くの判例を盛り込んだ通説手形法の概説書。勁草書房から1982年(昭和57年)に刊行されたものを再刊。

法学者。1942年(昭和17年)大阪府生まれ。1967年(昭和42年)中央大学法学部卒業、同年4月から1972年(昭和47年)3月まで中央大学助手を務め、その後、4月から助教授に就任し、1979年(昭和54年)4月には法学部教授を務める。主な研究テーマは手形理論で、鈴木竹雄の二段階創造説にも反対。現代資本主義社会においては、企業と消費者、大衆投資家・大企業と小企業、元請企業と小企業との関係において「企業法」として把握して解釈した上で、手形法、会社法を含めた実質的意義の商法を体系化すべきと主張した。1988年(昭和63年)45歳の若さで夭逝。




組織の「伝達力」を高める 伝える能力の基本 (諏訪書房新書)   
【著者】杉山 伸朗(すぎやま・のぶあき)

企業間の競争において、企業が持つ「専門技術」のレベルが高いに越したことはありません。しかし、技術が高ければ物は売れるか、またお客様に受け入れてもらえるかというと、なかなかそうはなりません。今や、製造業においても、サービス業においても、「製品が良い」「耐久性が高い」「品揃えが多い」「店がきれいだ」だけで通用する時代ではないのです。 今、見逃してはいけないことは、技術に加え「お客様とのコミュニケーション力」、特に「伝達力」が重要なのです。お客様は、「技術力」と「コミュニケーション力」の総合点で企業とその商品を評価します。(本文「伝える能力の基本について」) ラポールを理解するための本 ラポールとは「円滑にコミュニケーションができる土台となる健全な人間関係のこと」 本書は、お客様とラポールを形成するための伝える能力の基本についてまとめた社員教育読本。 ラポールとは「心の架け橋」、相手の世界に入り込む能力。例えば、訪問セールスの人が、出会い頭に「何かお困りのことはないですか?」と質問したら、多くのお客様は「嫌だ」と感じます。相手に配慮をし、何らかのラポールが架かり、心理的距離が縮まった段階で「質問に答えてあげよう」という気持ちになるのです。ラポールとは「相手の世界に入り込む能力」。(本文「伝達力の要素とラポールの関係性」より抜粋)

経営コンサルタント。1989年(昭和59年)中央大学理工学部卒業、ビジネス・ブレークスルー大学院大学(Kenichi Ohmae Graduate school of Business)修了(MBA)。 SEを経て経営コンサルタント業を開業。経営コンサルタント杉山伸朗事務所にて経営コンサルティング、企業人材教育を展開。大企業から、中小企業まで多くの企業の人材教育、経営コンサルティングを担当。


http://www.ene-web.com/cfc/contents/pro/n-sugiyama01.htm



プライマリー刑事訴訟法   
【著者】椎橋隆幸(しいばし・たかゆき)

刑事裁判とは法、社会正義を実現する形式である。この原点に立ち返り、基礎知識の修得、原理・原則の把握、原理・原則の事例への適用をなるべく読みやすく、判りやすくし学習できることを狙いとした入門書。

法学者。1946年(昭和21年)生まれ。1969年(昭和44年)中央大学法学部法律学科卒業、1971年(昭和46年)一橋大学大学院法学研究科公法専攻修士課程修了。以降、1972年(昭和47年)鹿児島大学法文学部助手、1976年(昭和51年)鹿児島大学法文学部助教授に就任。1978年(昭和52年)に、中央大学法学部専任講師、1982年(昭和57年)中央大学法学部教授に就任。2008年(平成20年)中央大学副学長に就任し 裁判員制度の運用等に関する有識者懇談会委員なども務める。法制審議会刑事法部会長代行、司法試験第二次試験考査委員、文部科学省・法学教育の在り方等に関する調査研究協力者会議委員なども歴任。




憲法機軸の周縁   
【著者】清水睦(しみず・むつみ)

近年以降に執筆した日本国憲法の原理の周縁に位置する対象についての論稿集。近代立憲主義の「価値」の今日的位相、近代議会法の原理、六十年安保国会と憲法学の議会制民主主義論、参議院制度の改革論と展望など、日本国憲法の原理の周縁に位置する対象についての論考を収録。

法学者。1930年(昭和5年)長野県生まれ。1953年(昭和28年)中央大学(旧制)法学部卒業。1958年(昭和33年)中央大学法学部助教授就任、1965年(昭和40年)法学部教授就任。TBSアナウンサーの清水大輔の父にあたる。




行政ってなんだろう (岩波ジュニア新書)   
【著者】新藤宗幸(しんどう・むねゆき)

行政の基本的な考え方と、その役割が歴史的にどのような変化をしてきたか、日本の行政制度のしくみについて解説して大好評を博した旧版に、2000年以降の行政改革による省庁再編や地方分権の進み具合などを大幅加筆。政治と行政の関係、公共事業や福祉政策などの問題点を明らかにしつつ、市民への暮らしに必要な行政のあり方を提示します。

政治学者。1946年(昭和21年)神奈川県生まれ。1972年(昭和47年)中央大学大学院法学研究科修士課程を修了。1980年(昭和55年)専修大学法学部助教授に就任し、その後、立教大学法学部教授、シェフィールド大学客員教授を経て、2002年(平成14年)より千葉大学法経学部教授を務める。主な研究テーマは行政学、地方自治論。市民主体の行政のあり方を提唱し、論壇でも活動している。地方分権に関して多くの提言を行い、分権型政策制度研究センター長や住民投票立法フォーラム共同代表も務める。




刑事政策概論   
【著者】藤本哲也(哲哉)(ふじもと・てつや)

「刑事収容施設法」などの制定は、監獄法に代わる100年ぶりの抜本的改正法であった。これに合わせ、犯罪者処遇を中心に全分野にわたり大幅改訂。その他、平成19年までの法令改廃や諸施策の動向と、関係する犯罪データを完全に織り込み、最新の刑事政策学を提供する決定版。

法学者。1940年(昭和15年)愛媛県生まれ。1963年(1963年)中央大学法学部法律学科卒業。1970年(昭和45年)フロリダ州立大学大学院修士課程犯罪学専攻修了し、アメリカで日本人で初めて犯罪学の博士号を取得。このときに師事していたポール・タカギ教授が間違えた「哲也」を使い続けているが、「哲哉」が本名。1978年(昭和53年)法学部助教授に就任し、1981年(昭和56年)には法学部教授を務める。法務省・性犯罪者処遇プログラム研究会構成員。死刑廃止論者であり、廃止までの過渡的措置として「刑執行延期制度」を提案。また共謀罪について、政府側証人として国会で答弁したこともある。




刑法総論   
【著者】堀内捷三(ほりうち・しょうぞう)

刑法を学ぶものに向け、わかりやすく論点をまとめたテキスト。刑法の目的は犯罪の予防と法益保護にあることを念頭に、刑法の基本的な考え方を簡潔にわかりやすく解説。別著作である『判例百選』、『刑法の争点』と、本文の記述をリンクさせ、相互に読み込む事で、より深い理解が得られるように工夫。多数の事例問題、図解も豊富に織り込み、実践的な教材としても使える。2000年刊の第2版。

刑法学者。1942年(昭和17年)秋田県生まれ。日本の刑法学者。1966年(昭和41年)中央大学法学部卒業、そのときの学位論文は「不作為犯における作為義務について」。その後、法政大学法学部教授を経て、現在中央大学大学院法務研究科教授。主な研究テーマは、刑法の理論、刑法の政策、刑法の歴史など。また上記の『刑法総論』の中では、安楽死と刑法との関わりなども述べている。




地域コミュニティの環境経済学―開発途上国の草の根民活論と持続可能な開発   
【著者】鳥飼行博(とりかい・ゆきひろ)

持続可能な成長開発、共生社会、男女共生参画社会、資源循環型社会など、今日の先進工業国と開発途上国が共に直面している諸問題について考える。特に、草の根民活に注目し、「地域コミュニティの環境経済学」を創設する最先端の研究成果をまとめた論文。開発戦略とアジア通貨危機後に注目されたソーシャル・セイフティーネットから、世界的な少子高齢化と出生率回復、ジェンダー、地域経済と家内工業、再生可能エネルギーなど、幅広いテーマについて、図表200個以上、写真30枚以上を用いて詳しく解説。

経済学者。1959年(昭和34年)茨城県生まれ。1983年(昭和58年)中央大学経済学部、1988年(昭和63年)東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。1998年(平成10年)タイ王国モンクット王工科大学(KMITL)農業技術学部客員研究員を務め、現在、東海大学教養学部人間環境学科社会環境課程助教授、中央大学経済学部兼任講師。研究テーマは持続可能な開発を目指す「開発と環境の経済学」、草の根民活論。地球温暖化対策、熱帯林および生物多様性の保全、廃棄物処理、人口など環境問題について「人間の安全保障」という視点からの提言を行う。




これならわかる金融経済   
【著者】山田博文(やまだ・ひろふみ)

先進欧米諸国では「豊かでゆとりある経済社会」を実現している。その先行事例に学ぶことで、日本型金融経済システムの問題解決の方法を検討する。日常の社会生活で目にする一般的な事実に依拠し、揺れ動く実社会の経済現象を分析したテキスト。

経済学者。1949年(昭和24年)新潟県生まれ。1973年(昭和48年)中央大学商学部卒業。1989年(平成元年)八戸大学商学部助教授、1996年(平成8年)群馬大学教育学部教授に就任。群馬県消費生活問題審議会委員・公共事業再評価委員会委員、群馬大学生活協同組合理事長なども務める。研究テーマは日本と欧米の金融経済システムの研究、日本経済研究、金融経済教育など。




企業リスクマネジメント―内部統制の手法として   
【著者】吉川吉衞(よしかわ・きちえ)

今日、企業の社会的責任(CSR)が問われ、企業価値の向上が求められ、これらを含めた企業のリスクマネジメントが要請されている。本書では、企業リスクマネジメント、内部統制、コーポレートガバナンスが一体であることをふまえ、リスクマネジメントはガバナンスを実行する手法であり、これにより、仕組みとしての内部統制を適切かつ確実に行うことができることを、具体的に解き明かす。

商学者。1944年(昭和19年)新潟県生まれ。1967年(昭和42年)中央大学法学部卒業、1971年(昭和46年)中央大学大学院法学研究科修士課程終了。現在、大阪市立大学大学院経営学研究科教授。主な研究テーマは企業リスクマネジメント、コーポレートガバナンス、内部統制システムなど。




研究者(文・語・歴史学)

知的財産の歴史と現代―経済・技術・特許の交差する領域へ歴史からのアプローチ   
【著者】石井正(いしい・ただし)

特許法、著作権法等の知的財産制度が歴史的にどのように発展してきたかを解説する。社会的な仕組みの妥当性や、合理性は歴史的経験でのみ判断できるものと考え、経済や技術と知的財産制度がどのように関係しつつ発展してきたかを総覧する。産業社会と知的財産、近代知的財産制度の誕生、開拓時代のアメリカなど、特許法、著作権法などの知的財産制度が、歴史的にどのように発展してきたか、現代産業社会においてどのように機能していくかを詳述。

知財学者。1943年(昭和18年)東京都生まれ。1968年(昭和43年)中央大学理工学部電気工学科卒業。同年特許庁入庁、1972年(昭和47年)特許庁審査官に就任。1976年(昭和51年)インディアナ州立パデュー大学大学院留学を経て、1998年(平成10年)特許庁審判部長、1999年(平成11年)特許庁特許技監を務める。2003年(平成15年)大阪工業大学知的財産学部長に就任。特許庁電子計算機業務課機械化企画室長時代、特許審査システムのデータベース化案を「TOPAS」としてまとめ、のちの特許庁の審査の機械化システムの基礎を築いた。




仏さまへのラブレター   
【著者】大網義明(おおあみ・よしあき)

朝起きてから、夜眠るまで、ぐちを言い、腹を立て、ひがみ、ねたみ、イライラしている私たち。親鸞直系の願入寺二十七世・釈如鸞(大網義明)の説法は、そんな心にやすらぎをあたえる。人間・親鸞の打ち立てた在家仏教の本質をやさしく説き、人間の原点をさぐる。

大本山願入寺住職。1938年(昭和13年)新潟県生まれ。昭和35年、中央大学経済学部卒業後、関東工学工業(株)に就職。昭和44年に大本山願入寺へ普山、昭和47年に大本山願入寺27世管長ならびに住職に就任。県宗教教誨師、国際ロータリークラブ会員、他多くの要職に就く。




オシムの言葉 (集英社文庫)   
【著者】木村元彦(きむら・ゆきひこ)

万年Bグループだったジェフユナイテッド市原・千葉を、2005年のナビスコカップ優勝に導いた名将であり、2006年から2007年11月に病に倒れるまで、サッカー日本代表監督を務めたイビツァ・オシム氏。その数々の名言の背景にあるものとはなにかを、改めて読み通す一冊。「リスクを冒して攻める。その方がいい人生だと思いませんか?」「君たちはプロだ。休むのは引退してからで十分だ」サッカー界のみならず、日本全土に影響を及ぼした言葉の数々。文庫化に際し大幅な加筆と、書き下ろした追章を収録。ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞作。(解説・岡崎満義)

ノンフィクション作家。1962年(昭和37年)愛知県生まれ。中央大学文学部卒業後、疾走プロダクションを経て、独立。アジアや東欧を中心に、スポーツ人物論や先住民族問題を専門に、Sports Graphic Number誌や週刊プレイボーイ誌などに寄稿。特に、サッカーと旧ユーゴスラビア情勢を巧みに織り交ぜた『誇り』『悪者見参』『オシムの言葉』は「旧ユーゴサッカー三部作」と称されている。また、2004年(平成16年)に発生した「イラク・邦人人質事件」の際には、政府の対応のみならず、鋭いメディア批判も展開するなど、体制に寄らない言動がその背骨となっている。




天下不穏―軸なき国家は滅ぶ   
【著者】久保紘之(くぼ・こうし)

「現代の日本は機能不全に陥っている」著者の言葉を証明するかのような、小泉純一郎首相(当時)の腰砕け、田中眞紀子前外相の迷走ぶり。更には相次ぐ不審船の到来など、世の趨勢に流されることなく、2000年代当初の社会の本質を見通しコラム。鋭利にして繊細、広範にして深遠な記者の目が、混迷日本の行く末を見極める。産経新聞名物コラムのベストセレクション。

評論家。1940年(昭和昭和15年)東京都生まれ。1963年(昭和38年)中央大学法学部卒業。産経新聞社に入社し、政治部記者として活躍、編集委員にもなったが、同時多発テロ以降の産経新聞の論調に疑問を感じ退社する。現在は産経新聞編集特別委員を務める。歯に衣着せぬ時事評論にファンが多い。現在『WiLL』に評論家・堤尭との対談「蒟蒻問答」を連載。




リクルート「創刊男」の大ヒット発想術 (日経ビジネス人文庫)   
【著者】

誰もが一度は手に取ったことのある「とらばーゆ」「フロム・エー」「エイビーロード」「じゃらん」。これらの生みの親、「創刊男」の異名を持ち、今日のマルチメディアカンパニーであるリクルートを築いた伝説の編集者が、売れるモノを作る秘訣を全公開。次々とヒットを飛ばすための発想を余すところなく解説。

元・編集者、実業家。1952年(昭和27年)広島県生まれ。中央大学法学部卒業。大学時代の4年間は集英社でのアルバイトに明け暮れ、その熱心さに「月刊プレイボーイ」創刊のスタッフに抜擢されるも、集英社の採用試験には落ち、そのまま大学卒業後も集英社でアルバイトを続ける。1978年(昭和53年)日本リクルートセンター(現・リクルート)にアルバイトとして入社。翌年リクルートに社員として中途入社。面接の時「会社に入って何がしたいか」と聞かれ「新しいことがしたい」と答えた。入社後は、1980年(昭和55年)「とらばーゆ」を創刊、1982年(昭和57年)「フロム・エー」の創刊で副編集長。1990年「じゃらん」創刊。1993年(平成5年)新規事業開発室長に就任し、ここから「ゼクシィ」、「ダ・ヴィンチ」「生活情報360(のちホットペッパー)」、「じゅげむ」など、14もの情報誌創刊に携わり“創刊男”の異名を取る。働き詰めで会社に寝泊りし、大酒飲みのヘビースモーカーで体がガタガタ。このため45歳になった1998年(平成10年)に早期定年退職。「有限会社あそぶとまなぶ事務所」を設立し、現在「株式会社あそぶとまなぶ」に改称。経営コンサルタント、及び講演、執筆などで活躍。




ルドルフといくねこくるねこ―ルドルフとイッパイアッテナ〈3〉 (児童文学創作シリーズ)   
【著者】齊藤洋(さいとう・ひろし)

トラックに乗ってしまったことから、岐阜から東京へとやってきた猫のルドルフは、そこで知性派猫のイッパイアッテナに出会う。イッパイアッテナはルドルフを岐阜に帰らせる方法を模索し、ルドルフはその間にイッパイアッテナから字の読み書きを習う。その後、友達となる飼い猫ブッチーとも出会い、岐阜へ帰る方法を発見した。しかし岐阜へ出発する前日にイッパイアッテナがブルドッグのデビルとの喧嘩で重傷を負ってしまう。著者の児童文学デビュー作。

ドイツ文学者。1952年(昭和27年)東京都生まれ。1975年(昭和50年)中央大学法学部卒業、1977年(昭和52年)中央大学大学院文学研究科博士前期課程修了。1986年、第27回講談社児童文学新人賞に『ルドルフとイッパイアッテナ』を投稿したところ入賞し、児童文学作家としてデビューする。その続編に当たる『ルドルフともだちひとりだち』により、野間児童文芸新人賞を受賞。また、1991年(平成3年)には、『ルドルフとイッパイアッテナ』や『ペンギンハウスのメリークリスマス』など一連の作品により、第13回路傍の石幼少年文学賞を受賞。主に動物が主人公の、のんびりとした雰囲気の作品が多く、またタイトルからその内容が分からないのも特長。




アジア太平洋戦争期政策決定文書 (明治百年史叢書)   
【著者】佐藤元英(さとう・もとえい)

1941年の東条内閣成立から、1945年の鈴木内閣総辞職までの閣議決定を徹底的に調べ上げた報告書。更に、太平洋戦争期の政策決定過程における閣議の意義を考察するために、御前会議、大本営政府連絡会議、最高戦争指導会議及び上奏・奏上などにおいて作成された記録文書の存在をも明らかにしようと試みた一冊。

歴史学者。1949年(昭和24年)秋田県生まれ。1973年(昭和48年)中央大学文学部史学科卒業、1978年(昭和53年)中央大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。外務省外交史料館「日本外交文書」編纂員、宮内庁書陵部編修課主任研究官、駒沢大学文学部教授などを歴任し、現在は中央大学文学部教授。2001年(平成13年)『近代日本の外交と軍事』で吉田茂賞を受賞。太平洋戦争開戦時の宣戦布告文書の受け渡し遅延問題について、膨大な史料調査を通じ、そもそも外務省本省が宣戦布告をしない形での開戦という方式を意図していた可能性を示した。




ヤスパース教育哲学序説―ボルノーからヤスパースへ:自己生成論の可能性   
【著者】豊泉清浩(とよいずみ・せいこう)

実存哲学の代表者であり、教育学者として知られるヤスパース。彼の哲学をどのように解釈すれば、教育哲学として捉えることができるのか、実存的教育哲学の可能性は、ボルノーのヤスパース解釈にではなく、ヤスパース哲学そのものの研究に還る必要があるとの問題意識から出発したのが本書。ボルノーの教育思想の特徴と限界、ヤスパースの教育哲学について解き明かし、ボルノーを越える実存的教育哲学の根源性がヤスパース哲学に内包されていることを明らかにする。そして同時に、ヤスパース教育哲学のなかに新たな教育目的論の再構築の可能性を探り、今日の教育現実に対して彼の教育哲学から学びうるものは何かを探求していく。

教育学者。1957年(昭和2年)東京都生まれ。1979年(昭和54年)中央大学文学部を卒業し、1988年(昭和63年)中央大学文学部兼任講師、東京薬科大学兼任講師、1994年(平成6年)明治学院大学非常勤講師、1998年(平成10年)浦和短期大学児童福祉科助教授などを歴任し、2007年(平成19年)現在は群馬大学教育学部教育学専攻教授に就任。主な研究テーマは教育内容学、ヤスパース教育哲学の研究など。好物は豚の角煮とみかん。




韓国を強国に変えた男 朴正煕―その知られざる思想と生涯   
【著者】河信基(ハ・シンギ)

自らの信念に従い、果敢に歴史にいどんだ男、朴正煕の生と死を見つめ直す一冊。韓国近代化に奔走して、遂には側近に殺害されるまでを通覧する。深い反日感情を抱きながらも、近代化を成しとげた日本の秘密を探ろうと努め、大日本帝国陸軍士官学校に学び、戦後は軍事クーデターを成功させて全軍を掌握、対日国交正常化を実現した独裁者の生涯を語る。

評論家。1946年(昭和21年)生まれ。1971年(昭和46年)中央大学法学部卒業。朝鮮新報社記者、朝鮮大学校講座長(主任教授)を経て、1979年(昭和54年)朝鮮大学教授に就任し、評論家・作家評論活動を開始。研究テーマは朝鮮南北情勢。朝鮮民族の伝統や文化的特長を踏まえて深読みする分析が特長。著書『韓国を強国に変えた男 朴正煕』は韓国において、日本語の本としては異例のロングセラー。ブログ「河信基の深読み」も運営。




木戸孝允 (幕末維新の個性)   
【著者】松尾正人(まつお・まさひと)

幕末を桂小五郎、明治を木戸孝允として生きた一身二生を辿る。倒幕の志士から、新時代の政治家へ変貌していく木戸の姿を生き生きと描く。版籍奉還、廃藩置県、立憲制導入など、明治国家の建設に奔走した、木戸の後半生に焦点を絞り、その個性・実像に迫る。

歴史学者。1948年(昭和23年)東京都生まれ。1971年(昭和46年)中央大学文学部を卒業し、1986年(昭和61年)東海大学文学部助教授、1993年(平成5年)中央大学文学部教授などを歴任し、2001年(平成13年)中央大学文学部長、2005年(平成17年)中央大学副学長に就任。日本学術会議会員。日本近代史、特に幕末〜明治期の政治史・社会史が主な研究テーマ。戊辰戦争、廃藩置県、自由民権運動の研究などを中心に著作がある。




矢追純一のUFO大全   
【著者】矢追純一(やおい・じゅんいち)

UFOの第一人者である矢追純一の集大成である。著者が30年にわたって取材したUFO情報の全てを集録したUFO情報の総集編であり、矢追純一の遺作となるかもしれない書。MJ‐12をはじめ、UFOや宇宙人に関する機密文書、原文などを掲載。

テレビプロデューサー。1935年(昭和10年)満州国生まれ。1960年(昭和35年)中央大学法学部法律学科卒。同年日本テレビ放送に入社し、『11PM』『木曜スペシャル』などを担当。特に『木曜スペシャル』などで、超能力や超常現象を扱った番組企画を担当し、人気を博す。1986年(昭和61年)日本テレビ退社、矢追純一オフィス主宰。一説に、中華人民共和国を取材した際に、日本に向けていつでも撃てるよう核ミサイルが配備されているのを見たことから世界観が変わり、UFOなどに関心を向けるようになったのだと言われる。また、あるテレビ番組に出演した際、UFO番組を数多く手掛ける理由を「多くの人に、夜空を見てほしいから。」と語り、「実は、UFOには懐疑的である。」と語った事がある。

http://spacian.net/




アナウンサー

ことばの切っ先―心にせまるセリフ   
【著者】葛西聖司(かさい・せいじ)

NHKの古典芸能番組に長く携わってきた著者が、現代演劇・映画・落語から歌舞伎・能まで、心に残るセリフを取り上げるエッセイ。ほめる、たしなめる、なぐさめる日本語。現実とはほど遠い設定でも、わたしたちとどこかでつながっているのが、芝居や映画。その中の言葉も、やはり私たちとつながっている。さらに、はっきりとものを言わない人が多い今、何百年も前の作品中の人物が口にするきっぱりとしたセリフにふれて、「ことばの切っ先」を磨いてほしいと語る。

NKHアナウンサー。1951年(昭和26年)東京都生まれ。中央大学法学部卒業。1974年(昭和49年)NHK入局。鳥取を皮切りに、宮崎、大阪、東京、大阪、東京の各局を歴任。歌舞伎や文楽、能など伝統芸能の番組を担当していたことから、その歴史や楽しみ方を解説する著書も多数執筆している。また、きらめき歌謡ライブの司会、ラジオ深夜便のアンカーなどとしても有名。




サッカーと私―人生をともにした40年の旅   
【著者】金子勝彦(かねこ・かつひこ)

『三菱ダイヤモンド・サッカー』の司会で知られる金子勝彦が語る、原点からのメッセージ。世界的にも有名なサッカージャーナリストの著者が、フィールドでの感動の光景を綴った処女作! サッカーをスポーツの枠を越えた文化的観念で捉え、膨大な資料、スターの秘蔵写真とともに書き下ろす。

スポーツアナウンサー。1934年(昭和9年)神奈川県生まれ。1957年(昭和32年)新日本放送(現毎日放送)のアナウンサーとして入社、1964年(昭和39年)東京12チャンネル(現テレビ東京)に移籍し、スポーツ中継を担当。日本のスポーツアナウンサー・コメンテーター。愛称「ネコさん」。「三菱ダイヤモンド・サッカー」は、1968年(昭和43年)の放送開始から20年間にわたって岡野俊一郎(後の日本サッカー協会会長)と司会を担当。オープニングの口上「サッカーを愛する皆さん、ごきげんいかがでしょうか?」というコメントは番組の名物であった。「金子節」と評される独特のフレーズが特徴。「前線へフィード」「前方ルックアップ」などのフレーズや、「ファインゴール!」「ビューティフルゴール!」、ファンタスティックなプレイが出ると「うひょ〜」などが有名。




土俵に賭けるハートワーク   
【著者】北出清五郎(きたで・せいごろう)

相撲は人生の縮図そのもの。ここには、ケガや病気を克服して大成した力士、逆境やプレッシャーにもめげず「大一番」に勝った力士がいる。さらにその奥には、力士らを細やかな気遣いと心配りで支えた親方や“おかみさん”がいる。そんな彼らが精神力と「心のふれあい」で活路を開いていく「人生の物語」を語った一冊。

元NHKアナウンサー。1922年(大正11年)東京都生まれ。中央大学卒業後、1947年NHK入局。NHKのスポーツアナウンサーとして、大相撲を中心に数多くのスポーツ中継に出演。1953年(昭和28年)テレビ放送がスタートした大相撲中継の5月場所から担当。1959年(昭和34年)の皇太子ご成婚の沿道中継を担当。また1964年(昭和39年)東京オリンピックの開会式実況の「世界中の秋晴れを東京に持ってきたような素晴らしい秋日和であります」、1972年(昭和47年)札幌オリンピックにおける「さぁ笠谷、金メダルへのジャンプ!……飛んだ決まった!!」などの名セリフも残した。2003年(平成15年)1月19日、心不全のため死去。




新・血統マップ―付・名牝の系譜に夢をのせて   
【著者】小林皓正(こばやし・こうせい)

いま、世界を席捲している競走馬の最強ラインを一挙に収録。日本ダービー馬、東京ダービー馬も掲載。綴じ込み付録=種牡馬特大マップ。10年前に血統ブームを巻き起こした「血統マップ」の21世紀用バージョン。種牡馬のみならず、名牝の系譜(名馬は母の血から)を補充し、データとしても有効。

元・ラジオたんぱアナウンサー。1937年(昭和12年)福島県生まれ。中央大学法学部卒。 1985年(昭和60年)から2002年(平成14年)3月31日までの17年間、日曜日の『中央競馬ワイド中継』のキャスターを務める。FMえどがわでは、「小林皓正の馬は友達」のパーソナリティを務め、『週間競馬ブック』では「競馬ワンダーランド」を連載。




落日の残像―最後の母艦航空隊   
【著者】野村泰治(のむら・たいじ)

太平洋戦争末期、学徒出陣で出征した著者が乗り込んだ航空母艦「瑞鶴」。その最後の戦場となった「レイテ海戦」を舞台にくりひろげられる、壮絶な人間ドラマ。母艦が沈み、漂流ののち死の海からの生還。そのぬぐい去りえぬ原体験を、超ベテランTV司会者が初めて書き下ろしたドキュメンタリー戦記。

元NHKアナウンサー。1922年(大正11年)東京都生まれ。中央大学卒業後、1946年(昭和21年)にNHKに入局、戦後初のアナウンサーとなり、「東京オリンピック」総合司会、「それは私です」、「スタジオ102」、「連想ゲーム」などの司会を務めた。1975年(昭和50年)NHKを退職してフリーに転身し、TBS「3時にあいましょう」を13年間務めた。大学進学は「検事になりたくて」だったが、戦時中には学徒出陣も体験。乗艦していた「瑞鶴」が撃沈され、機銃掃射の中を3時間も漂流した経験を持つ。その経験からか、正義感、潔癖感を貫き、また一方では家庭を何よりも愛し、視聴者に愛されたアナウンサーだった。2002年(平成14年)、肺炎のため神奈川県の病院で死去。




将棋

実戦・詰将棋を楽しむ―頭の体操   
【著者】大内延介(おおうち・のぶゆき)

詰将棋初段を目ざす人のために、実戦で有効な一手を150題厳選。詰め方は最短手数で詰まず、玉方は最長手順になるように逃げる。玉を除いて盤上や詰め方の持ち駒にもない余ったすべての駒は玉方が使える、ムダな合駒をしてはいけないなど、実際の展開にあわせて丁寧に解説。

棋士。1941年(昭和16年)東京都生まれ。中央大学卒業。土居市太郎名誉名人門下。棋士番号86。1963年(昭和38年)のプロデビュー直後、初参加の順位戦から2期連続昇級を成し遂げた初の棋士である。1967年(昭和42年)第8期王位戦で大山康晴に挑戦したが敗退。これがタイトル戦初登場となる。かつてプロ将棋界ではまともな戦法とは見なされていなかった穴熊囲いを戦法に取り入れ、実用化に努めたことから「穴熊党総裁」との呼び名がある。このことから、七番勝負で対決する二人のことを対比的に、“中原は王道、大内は覇道”と表現された。将棋のルーツについての研究家でもある。獲得タイトルは棋王1期、全日本プロトーナメント1回、NHK杯1回、古豪新鋭戦2回など。




漫画・映像・アニメーション

おとぼけ課長 (1) (芳文社コミックス)   
【著者】植田まさし(うえだ・まさし)

東京のとある商社の営業課長である「おとぼけパパ」を主人公に、かりあげクンテイストのサラリーマン世界と、コボちゃんテイストのホーム4コマの両方を描く、累計300万部を越える、ビジネスマン必携の「安らぎの書」。その最新21巻。

漫画家。1947年(昭和22年)東京都生まれ。中央大学文学部哲学科卒業。大学卒業後、カメラマンを目指して東京写真専門学院に通うが、「志なかばで性格的に不向きだと判断した」ために中退。兄の学習塾を手伝いながらギャグ漫画を書き始める。代表作は『コボちゃん』や『かりあげクン』など。1971年(昭和46年)『ちょんぼ君』(週刊漫画TIMES)でデビュー。1982年(昭和57年)4月1日から読売新聞朝刊に「コボちゃん」を連載。同作品は、2004年(平成16年)から、日本の全国紙の4コマ漫画で初めてカラー作品を掲載。1982年(昭和57年)、第28回文藝春秋漫画賞受賞、1999年(平成11年)第28回日本漫画家協会賞受賞。他作家からは「4コマ漫画の巨匠」と呼ばれている。




大阪芸術大学 小池一夫のキャラクター造形学   
【著者】小池一夫(こいけ・かずお)

様々なキャラクターを生み出してきた著者が、コピー複製がまかり通る現代の中で、「キャラクターを守ろう」、「全ての芸術はキャラクターから生まれる」と主張する一書。古今東西、あらゆる時代の物語に登場する様々なキャラクターを研究し、いろいろな学問の分野から「キャラクター」を照らすことによって、架空の人物としてのキャラクターと、人類との関わりや、社会への影響などを考察する。

漫画原作者・小説家。1936年(昭和11年)秋田県生まれ。1959年(昭和34年)中央大学法学部卒。大学時代は『桃太郎侍』で知られる時代小説家山手樹一郎に師事し、小説家を目指すが断念。その後弁護士を目指すが、司法試験に三度失敗。1968年(昭和43年)ごろ、少年マガジンにさいとうプロダクションが原作者募集をしているのを見て、「枯れ葉の紳士録」という原稿を書き応募。締切りを大幅に過ぎていたにもかかわらず採用される。以後、さいとうプロに所属し、『無用之介』『ゴルゴ13』などの原作に携わった後、1970年(昭和45年)に独立。1970年代は、『子連れ狼』、『修羅雪姫』、『忘八武士道』などを執筆。「漫画はキャラ立てが大事だ」が信条で、インパクトのあるキャラクターを動かし、世界的な謀略劇の中を駆け抜けるという壮大な物語が身上。キャラクター原論の提唱者である。2000年(平成12年)大阪芸術大学芸術学部映像学科の教授に招聘。

http://www.koikekazuo.jp/




小説・秒速5センチメートル (ダ・ヴィンチブックス)   
【著者】新海誠(しんかい・まこと)

気鋭の映像作家として知られる著者が、最新作である連作短編アニメーションを自らノべライゼーション。遠野貴樹(たかき)と篠原明里(あかり)の二人は、共に転勤族の親を持ち、同じような境遇から親しくなるが、先に明里が栃木へ転校し、その後貴樹も種子島へ転校することになる。遠く離れ離れになってしまう前に、再会を願うふたり。それから、長い年月の中で二人がそれぞれ見たもの、感じたものが、時間を超えて交差する。

アニメーション・映像作家。1973年(昭和48年)長野県生まれ。中央大学文学部国文学専攻卒業。大学卒業後、日本ファルコムに勤務し、同社のパソコンゲーム『英雄伝説ガガーブトリロジー』『イースIIエターナル』などのオープニングムービーを制作。その傍らで自主制作アニメーションを制作し、1998年(平成10年)に『遠い世界』でeAT'98にて特別賞を、2000年(平成12年)に『彼女と彼女の猫』でプロジェクトチームDoGA主催の第12回CGアニメコンテストでグランプリを獲得。日本ファルコムを退社し、フリーランスになる。2002年(平成14年)に公開した『ほしのこえ』は、監督・脚本・演出・作画・美術・編集などほとんどの作業を一人で行った約25分のフルデジタルアニメーションで、その映像クオリティの高さは、通常商業作品を凌ぐほどであった。同作品は第1回新世紀東京国際アニメフェア21公募部門で優秀賞を受賞。他にも、第7回アニメーション神戸・第6回文化庁メディア芸術祭 デジタルアート部門特別賞・第34回星雲賞 メディア部門・第8回AMD AWARD BestDirector賞など多数の賞を受賞。

http://www2.odn.ne.jp/~ccs50140/




写真家

デジタルカメラを生かす鉄道写真   
【著者】広田尚敬(ひろた・なおたか)

“夢と感動”があるからシャッターを切る。好きな電車・列車を記録することの本質は、銀塩カメラでも、デジタルでも変わらない。本書を読めば、誰の写真も必ずグレードアップする。自分の好きなものだからこそ、かっこよくダイナミックに撮りたい。そんな望みを実現する、鉄道写真の分類や機材の選定、撮影の実際などを解説。また、撮影後の楽しみ方、鉄道写真家になるためのアドバイスなども収録する。

鉄道写真家。1935年(昭和10年)東京都生まれ。中央大学卒業後、会社員を経て1960年(昭和35年)フリーの写真家となる。日本の鉄道雑誌・書籍のほか、米国の鉄道雑誌「TRAINS」でも写真を発表し、鉄道撮影において高い評価を得た。編成写真だけでなく、革新的な撮影技法や自作の撮影機材を用い、斬新な作品を多数発表している。中でも走行中の列車の側面を車両の真横から流し撮りし、車両があたかも止まっているかのように撮る撮影手法が特に知られており、彼はこの撮影方法を動止フォトグラフと呼んでいる。紅茶好きでもあり、かつて小田急電鉄のロマンスカーの初の展望席設置列車である3100形「NSE」が登場し、初めて乗車した際、車内で飲んだミルクティーの味が今でも忘れられないという。




落語家

老舗味めぐり   
【著者】林家いっ平(はやしや・いっぺい)

玉ひでのしゃも鍋、松栄亭の洋食など、思わず生唾を飲み込みたくなるような、江戸の老舗の味めぐり。春風亭小朝とのグルメ対談も収録する。『オズマガジン』連載を再構成。データは2006年5月現在のもを収録。

落語家・タレント。1970年(昭和45年)東京都生まれ。中央大学経済学部卒業。初代林家三平と海老名香葉子の次男。兄は9代目正蔵。三平の子ではあるが、小学4年生の時に父三平が癌で死去したため、兄正蔵と異なり、実質一門を相続した林家こん平の直弟子である。1989年(平成元年)大学在学中に弟子入りし、1993年(平成5年)二つ目、2002年(平成14年)真打昇進。2007年(平成19年)10月31日に行われた落語協会の記者会見で、父の名跡を継ぎ、2代目「林家三平」を襲名することを発表。




小説家

さらば、荒野 (角川文庫 (6022))   
【著者】北方謙三(きたかた・けんぞう)

ハードボイルドの第一人者が描く、新たな物語“ブラディ・ドールシリーズ”の第一弾。冬の夜霧にむせぶ港町。一軒の酒場「ブラディ・ドール」に引き寄せられる男達。人生を降りた者にも闘わねばならない時がある。彼らの行き着く先には何が待ち受けるのか。

小説家。1947年(昭和22年)佐賀県生まれ。1973年(昭和48年)中央大学法学部卒業。父親は外国航路の船長だったため、帰港するたびに横浜に会いに出かけていた。大学入学時は学生運動の佳境であり、全共闘運動に没入。在学中の1970年(昭和45年)純文学作品『明るい街へ』が雑誌「新潮」に掲載され、学生作家としてデビューを果たす。1981年(昭和56年)『弔鐘はるかなり』を出版。新人としては異例の、“書き下ろし長編”による処女出版であり、北方にとっては二度目のデビューである。その後『眠りなき夜』、『さらば、荒野』を発表し、“ハードボイルド小説の旗手”として一躍人気作家に。執筆が極めて速いことから、「月刊北方」などとも言われた。1999年(平成11年)には『水滸伝』を連載開始。全19巻9500枚の超大作は、「日本の大衆小説の最高峰」(北上次郎)と称される。同作は2006年(平成18年)第9回司馬遼太郎賞を受賞。




地獄の奇術師 (講談社文庫)   
【著者】二階堂黎人(にかいどう・れいと)

昭和40年代・東京の郊外〈十字架屋敷〉と呼ばれる、実業家の広壮な邸宅。ここにエジプトのミイラのように顔中に包帯を巻いた、異様な風体の男が出没した。復讐のため地獄から戻ってきた〈地獄の奇術師〉と自ら名乗り、十字架屋敷に住む暮林一族を皆殺しにすると予告した。二階堂蘭子と黎人は、事件の解決に乗り出す。妖気漂う本格探偵小説「二階堂蘭子シリーズ」の第一弾。著者のミステリー公式デビュー作品。

小説家・ミステリー作家。1959年(昭和34年)東京都生まれ。中央大学付属高等学校、中央大学理工学部卒業。大学在学中には、手塚プロ主催の「手塚治虫ファンクラブ」の会長を務めていた。卒業後運輸省の外郭団体に勤務。1990年(平成2年)第1回鮎川哲也賞に『吸血の家』で佳作入選。1992年(平成4年)二階堂蘭子シリーズ第1作『地獄の奇術師』でミステリー作家デビュー。蘭子シリーズでは、作者と同名の二階堂黎人が記述者を務めている。著書『人狼城の恐怖』は世界最長の本格推理小説である。主な作品として、二階堂蘭子シリーズ・水乃サトルシリーズなどがある。

http://homepage1.nifty.com/NIKAIDOU/




狼の紋章 (トクマ・ノベルズ―ウルフガイシリーズ)   
【著者】平井和正(ひらい・かずまさ)

私立中学博徳学園の教師・青鹿晶子はある夜、1人の少年が3人の不良高校生に襲われているところに遭遇する。無抵抗の少年がナイフで刺されるのを眼にし、青鹿晶子はその場で気を失ってしまう。ところが、彼女は意外な場所で少年と再会する。光る目、獣のように上端がぴんととがった耳、ほっそりと痩せぎすの体躯から一種独特の精気を発散する彼は、転校生として彼女のクラスにやってきたのだった。少年の名は犬神明。危機に直面する女教師を救う大自然の精霊、不死身のウルフガイ。数多くの読者の絶大な支持をうけつづける名作シリーズをトクマ・ノベルズにて集中刊行。

小説家・SF作家。1938年(昭和13年)神奈川県生まれ。中央大学法学部卒業。手塚治虫の影響を受け中学2年生で大学ノートに長編SF処女小説『消えたX』を執筆、級友に回覧され人気を博し小説家を志す。1959年(昭和34年)ハードボイルド小説『夜の干潮』が中央大学ペンクラブ会誌「白門文学」に掲載され初めて作品が活字になる。1961年(昭和36年)『殺人地帯』が「SFマガジン」第1回コンテストで奨励賞を受賞。漫画原作者の元祖」でもあり、桑田次郎の『8マン』や、石ノ森章太郎(当時は石森章太郎)の『幻魔大戦』などで知られている。また、『8マン』のアニメ化にあたっては脚本家としても係わる。 ファンからの愛称は「ひらりん」。娘は少女漫画家の平井摩利。

http://www.wolfguy.com/




ノンフィクション作家

人格障害をめぐる冒険   
【著者】大泉実成(おおいずみ・みつなり)

神戸の少年Aなど了解不能の事件が起るたびに登場する「人格障害」という言葉をめぐる斬新なルポ。その言葉は90年代の初め、宮崎勤を説明するためにメディアに華々しく登場したが、このようなラベルを貼ることで整理できたかに見えても、事件そのものの異形は依然として立ちはだかったまま。「人格障害」という言葉に人は何を背負わせたのか。社会や時代のひずみを映し出す陰画のようなこの言葉の使用をめぐる、異色のノンフィクション作品。

ノンフィクション作家。1961年(昭和36年)東京都生まれ。中央大学文学部哲学科卒業。 少年の頃、エホバの証人の信者だった経験を持ち、1985年(昭和60年)におきた信者による「輸血拒否」による少年死亡事件に衝撃を受け、関係者に取材して、処女作『説得―エホバの証人と輸血拒否事件』を刊行。1989年(昭和60年)講談社ノンフィクション賞を受賞。その後も、対象に密着したノンフィクション作品を発表。『麻原彰晃を信ずる人々』などのハードなものから、『消えたマンガ家』、『東京サイテー生活−家賃月二万円以下の人々』などライトなものまで幅広い著作がある。1999年(平成11年)、両親が東海村JCO臨界事故で被曝したことから、被曝者の会の事務局長を勤める。




脚本家

金城哲夫 ウルトラマン島唄   
【著者】上原正三(うえはら・しょうぞう)

『ウルトラQ』、『ウルトラセブン』、『快獣ブースカ』などで、自由奔放な空想の世界を創りだした金城哲夫。一方では、“伝説怪獣ウー”や“ノンマルト”など怪獣に心情を仮託した作品が多いのも金城の特長。そして37歳、突然の事故死。不滅のヒーロー・ウルトラマンを創った金城哲夫の光と闇、心の根底にあった戦争の傷痕へと迫る。盟友・上原正三が満を持して書き下した決定版。

脚本家。1937年(昭和12年)沖縄県生まれ。中央大学文学部を卒業し一時帰郷後、同郷の金城哲夫を頼って再上京、円谷プロに入社。『ウルトラQ』の「宇宙指令M774」で脚本家としてのデビューを果たす。1969年(昭和44年)金城が円谷プロを退社し、沖縄に帰郷するのと同時に、上原も退社し、フリーの脚本家となる。1971年(昭和46年)『帰ってきたウルトラマン』では、メインライターに指名され、第二期ウルトラシリーズの礎を築いた。以後、一貫して子供番組の企画を担当、特撮やアニメ作品の脚本を多く手掛けている。市川森一に普通のドラマの脚本を書くように薦められたが、今のドラマで怪獣や宇宙人、ロボットの姿を通して日本人以外の存在を描けるのは、子供番組だけだから続けると答えたという。




「身毒丸」「草迷宮」―岸田理生戯曲集   
【著者】岸田理生(きしだ・りお)

継母に家を追い出され、盲目で地獄をさまよう「しんとく丸」。これを寺山修司が現代の物語として書き下ろし、それを著者が家という制度の中での母と子の禁断の愛というテーマで新たに書き直した『身毒丸』。母への憧憬を胸に唄を探し求めて彷徨する青年がたどり着いたのは、妖怪に守られた美女の棲む荒屋敷だった。泉鏡花の文体を生かしながら夢での禁断の恋を描いた「草迷宮」の2作品を劇化した岸田理生の戯曲集。1997年刊の新装。

脚本家。1946年(昭和1946年)長野県生まれ。中央大学法学部卒業。1974年(昭和49年)寺山修司の劇団・天井桟敷に参加。寺山との共作で、戯曲『身毒丸』や映画『草迷宮』『ボクサー』などを手掛けた。1984年(昭和59年)からは岸田事務所+楽天団を主宰し、同年に上演した『糸地獄』で岸田國士戯曲賞を受賞。小劇場運動の旗手の一人と目された。1988年(昭和63年)には『終の栖仮の宿』で第23回紀伊國屋演劇賞を受賞。怪奇幻想的な作風が多く、小説やテレビドラマのシナリオを多数執筆した。1993年(平成5年)より岸田理生カンパニーを主宰するが、難病に倒れ、長い闘病の末に死去。




俳人

草に花―川島葵句集 (ふらんす堂精鋭俳句叢書―椋叢書)   
【著者】川島葵(かわしま・あおい)

凩や子供が子供呼び集め 星合の草踏みて来し家族かな 四季折々の日常や東京郊外の景などを詠んだ作品を収録。豊かな季感はもとより、大きな空間把握にもとづく映像的な表現にあふれた句集。

俳人。昭和34年東京生まれ、昭和57年中央大学文学部卒。「泉」にて、石田勝彦、綾部仁喜、両師に指導を受ける。以後、冊子「ひょうたん島通信」(石田郷子編集)にて、俳句を作り続ける。平成17年、「椋」創刊により入会。




新装版 鷹羽狩行 自選自解句集   
【著者】鷹羽狩行(たかは・しゅぎょう)

俳壇の巨匠が、代表作から愛着の深い句まで、自作200句を自ら厳選し、解説を加える。一句ごとに句作の動機、過程、背景が記されているので、作家や昭和の俳壇を知る上での貴重な資料としても、完成度が高い。

俳人。1930年(昭和5年)山形県生まれ。中央大学法学部卒業。山口誓子・秋元不死男に師事。1965年(昭和40年)句集『誕生』で俳人協会賞、1974年(昭和49年)句集『平遠』で芸術選奨新人賞受賞、1978年(昭和53年)から俳誌「狩」を主宰。2002年(平成14年)『翼灯集』『十三星』で毎日芸術賞受賞。2008年(平成20年)『十五峯』で詩歌文学館賞受賞、蛇笏賞受賞。NHKのラジオ番組の「ラジオ深夜便」のラジオ歳時記のコーナーを担当している。俳人協会会長、日本文芸家協会理事。




評論家

岩崎紘昌のアンティーク鑑定入門 (PHPエル新書)   
【著者】岩崎紘昌(いわさき・ひろまさ)

人気テレビ番組『開運! なんでも鑑定団』の鑑定士の中で、西洋骨董の鑑定では右に出るものがいないと言われる著者が、この九年間にわたる放送中に出会った中からアンティーク50品目を厳選し、その鑑定のポイントをやさしく解説している。専門的解説を避け、要点がコンパクトにまとめられており、読みすすめるうちに、長い時間をかけて生き延びてきた「古いもの」を心の「お宝」にして、さらに長く生き延びさせていきたくなる。「お宝」とは何だろうという基本的なテーマを改めて考え、本当の「こころのお宝」を探すための指南書。

西洋アンティーク評論家。1946年(昭和21年)北海道生まれ。中央大学法学部卒。学生時代、ヨーロッパ・中近東など世界75カ国を旅行し、アンティークの魅力に取り付かれる。卒業後の1972年(昭和47年)都内にアンティークショップを開店、西洋アンティークの輸入販売業を始め現在に至る。日本における西洋アンティーク研究の第一人者でもあり、著書も多い。また、テレビ番組『開運! なんでも鑑定団』のレギュラー鑑定士としてもお馴染み。




サッカー茶柱観測所   
【著者】えのきどいちろう(えのきど・いちろう)

著者はサッカーをどう書いてきたのか。有名選手が集う国際試合、J1の公式戦から、むしろ熱心な地元サポーターが集うJ2、地域リーグの試合まで足を運んだ膨大なフィールドワークと、徹底的な妄想と思いつくままの小ネタで、あらわとなったサッカーバカの輪郭。伝説の「週刊サッカーマガジン」連載コラムが待望の単行本化。

コラムニスト。1959年(昭和34年)秋田県生まれ。中央大学経済学部卒業。大学在学中に仲間内で発刊したミニコミ誌「中大パンチ」が宝島の編集者の目に留まり、在学中からコラムニストとして活動を始める。北海道日本ハムファイターズとHC日光アイスバックスの大ファンとして知られ、また自宅から本拠地が近いことがきっかけで観戦し始めた柏レイソルをはじめ、サッカー関連の著作も多い。HC日光アイスバックスの運営会社である株式会社栃木ユナイテッドの取締役。ラジオパーソナリティとしても活躍。ゲーム好きであり、Vジャンプに異彩を放つコラムを長年連載もしている。

http://enokidoichiro.com/




知られざる日本の恐竜文化 (祥伝社新書)   
【著者】金子隆一(かねこ・りゅういち)

恐竜はいつの時代も子供たちに大人気で、毎年のように開催される恐竜展は何十万人、時には100万人もの観客を動員。「恐竜ビジネスは、きっとビッグビジネスに違いない!」−しかし、それは傍らから見た虚像にすぎない。恐竜をよく理解せずに恐竜展を主催する大手マスコミ、模倣とパクリが横行する商業イラストレーション、瀕死の恐竜ジャーナリズム。著者が自らの体験と取材を通して、明らかにする恐竜業界は、一般のイメージと乖離した虚構の世界だった。恐竜は日本人に本当に理解されているのだろうか。日本の特異な恐竜文化のありようと問題点、恐竜学のあるべき真の姿を展望する。

サイエンスライター。1956年(昭和31年)兵庫県生まれ。中央大学商学部卒業。中央大学商学部に在籍していた時から一般科学雑誌などに執筆。古生物学から海洋生物学、宇宙開発、先端科学など幅広い分野を主な活躍の舞台としているが、熱心なSFファンでもあり、SF作品の科学的考察に関する著作も多数ある。中でも2001年(平成13年)の『新世紀未来科学』は日本SF大賞の候補作となった。漫画やアニメなどの科学設定の考証も手がける。1979年(昭和54年)TVアニメーション『宇宙空母ブルーノア』でSF考証を担当、日本のアニメ初の軌道エレベーターを登場させたほか、2004年(平成16年)には軌道エレベーターの建設を目指す漫画『まっすぐ天へ』(的場健画・講談社刊)で科学設定の考証を務めている。ハードSF研究所所員。




俳優

アベちゃんの悲劇   
【著者】阿部寛(あべ・ひろし)

容姿など、あまりにも恵まれた男性は逆に不幸である。二枚目モデルから役者として活躍するまでの告白的初エッセイ。自分の美貌を笑いものにできた日から役者としての成功が始まった。人生を変えた一枚の写真について、自ら可笑しく綴った告白書。

俳優。1964年(昭和39年)神奈川県生まれ。中央大学理工学部電気工学科卒業。大学在学中の1985年(昭和60年)、姉に勧められて優勝賞品である自動車を目当てに「集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞」へ応募し優勝。以降、雑誌「ノンノ」「メンズノンノ」のカリスマモデルとして活躍。1987年(昭和62年)映画『はいからさんが通る』で俳優デビュー。以降は俳優を主として活動するも、端正な顔立ちからありきたりな二枚目の役しか与えられなかった。1993年(平成5年)つかこうへいの舞台『熱海殺人事件 モンテカルロ・イルージョン』でバイセクシュアルの部長刑事役で主演。この作品が転機となり実力派としての地歩を固める。2000年(平成12年)仲間由紀恵と共演したドラマ『TRICK』で、徹底して三枚目の役を熱演し大ブレイク。2006年(平成18年)『真救世主伝説 北斗の拳〜ラオウ伝 殉愛の章〜』からケンシロウ役を担当。

http://homepage3.nifty.com/abe-hiroshi/




丹波哲郎の霊界の書   
【著者】丹波哲郎(たんば・てつろう)

次に無漏路へと旅立つ人へ、丹波哲郎の遺産。大霊界の原点となる大ベストセラー『死者の書』『霊界旅行』、更に第14回日本文芸大賞特別賞受賞作『死はこんなに気楽なものか』を含む、霊界研究全9作品完全収録。「死ぬというのは怖いこと」そんな一般的なイメージを覆す、一種人生の指南書。

俳優。1922年(大正11年)東京都生まれ。中央大学法学部英法科卒業。在学中に学徒出陣・GHQ通訳のアルバイトを経験。卒業後は団体職員となるも俳優を志し、創芸小劇場、文化座を経て、1952年(昭和27年)『殺人容疑者』(新東宝)にて主演級の役でデビュー。1960年(昭和35年)より新東宝を離れフリーに。代表作は1974年の『砂の器』と1975年より始まるTVドラマシリーズ『Gメン75』。俳優活動は50年以上、映画出演作品は300本以上に及んだ。さらに、俳優養成所「丹波道場」を設立、後進の育成も手がけた。また、心霊学と霊界に造詣を持ち、多数の著作がある。2006年(平成18年)9月24日午後11時27分、肺炎のため東京都三鷹市の病院で死去。享年85(満84歳没)。




スポーツ

きれいに速く泳げる田中雅美のスイミング (宝島MOOK)   
【著者】田中雅美(たなか・まさみ)

速く、かつ、きれいに泳ぐということをテーマに、クロール・平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライの4泳法における「キック」「ストローク」「息つぎ」などの基本からステップアップのコツまでを、著者がDVDの映像と誌面の連続写真でわかりやすく解説。

元・水泳選手、スポーツコメンテーター。1979年(昭和54年)北海道生まれ。2001年(平成13年)中央大学法学部卒業。専門種目は平泳ぎ。2人の姉の影響で水泳を始め、スイミングスクールで選抜されて上京。1996年(平成8年)開催のアトランタオリンピックでは、田中が目標としていた岩崎恭子と共に競泳日本代表に選ばれるが、平泳ぎの成績は100mで13位、200mで5位と振るわなかった。田中と岩崎とはライバルでありながらも良き親友であり、その親交は共に引退した現在も続く。1997年(平成9年)中央大学入学、いわば女子部員“1期生”のような形で入部した。シドニーオリンピックでは、女子400mメドレーリレーで大学の後輩2人を含むチームで銅メダルを獲得した。しかし平泳ぎ個人戦では100mで6位、200mで7位と、いずれもメダルを逃した。これが原因で水連から事実上の「戦力外通告」を受け第一線からは引退。2004年(平成16年)以降は、スポーツキャスターとして活動し、水泳以外のスポーツ選手とも幅広い親交を持つようになった。2005年(平成17年)にフリーダイビングのダイナミック・アプネア・フィンなしで96mの女子日本新記録を樹立した。




すぐに使えるサッカーテクニック―DVDで超速マスター (Seibido mook)   
【著者】早野宏史(はやの・ひろし)

サッカーの試合で、すぐに使える実践的テクニックをDVDと書面で連動的に解説。シュート・パス、ヘディング、ボールコントロール、ドリブル、ディフェンスなど、テクニック別に確実にステップアップできるポイントを満載。

元サッカー選手・解説者。1955年(昭和30年)神奈川県生まれ。中央大学法学部政治学科を卒業。1978年(昭和53年)のちに日産自動車サッカー部(現・横浜Fマリノス)に入社。小柄だがスピードのある技巧派FWとして活躍した。1992年(平成4年)のJリーグ開幕とともにマリノスのコーチに就任。1995年(平成7年)にS級ライセンスを取得。同年シーズンの途中から監督に昇格しその年のリーグ戦を制覇した。その後1996年(平成8年)に退任後はJリーグ中継の解説、コメンテーターを多数務める。選手名を用いたダジャレやオヤジギャグを絡ませた楽しい解説で視聴者の人気を集めた。1999年(平成11年)ガンバ大阪の監督に就任。2004年(平成16年)7月、柏レイソルが成績不振を理由に前監督を解任したのに伴い新監督として就任。しかし半年でチームは立て直せずチームは年間最下位。翌年もチームは低迷を続け、J2降格の責任を取って辞任した。2007年(平成19年)古巣横浜F・マリノスで現場復帰を果たしたが、目標とした3位以内には届かなかったため契約更新はなされず、天皇杯終了後に辞任。渾名は早野凡平が由来のボンさん。




重量挙という思想247.5   
【著者】真鍋和人(まなべ・かずしと)

ロサンゼルスオリンピックに出発するまでの一ヶ月間。左手首、肘の故障で、ほうきすら持ち上げられない程の激痛にさいなまれながらも、痛み止めの注射一本で重量挙げ52kg級銅メダルを獲得した著者の鍛錬の日々、激闘の記録。

重量挙げ選手。1958年(昭和33年)愛媛県生まれ。中央大学卒業。1974年(昭和49年)同郷の重量挙げ選手・小野正がいた新居浜工業高等学校に入学し、重量挙げ部に入部。重量挙げ人生が始まる。1975年(昭和50年)三重県での国体に出場し、高校の部で初優勝。1982年(昭和57年)第42回全日本選手権大会に出場し、52kg級でトータル247.5kgの日本新記録を樹立して初優勝。1984年(昭和59年)ロサンゼルスオリンピック重量挙げ男子52kg級銅メダリスト。1986年(昭和61年)韓国のソウルでの第10回アジア競技大会で、52kg級で銀メダルを獲得。1988年(昭和63年)第24回ソウルオリンピック大会に出場し、52kg級で8位入賞。